誇りをとりもどす物語 または 回復した誇りと凡夫の心
2003年 歌舞伎座(夜の部) 9月 3日
この男嫌いだったんです。情けないでしょう。愚痴っぽいし、自己憐憫の塊みたいだし。 そりゃ、現実の人間が彼の立場になれば、そうなるのも当然かもしれない。でもさ、悲劇であっても、 なんのためにお金を払って劇場へ行くかといえば、そりゃ、現実からの開放のためですよ。 私にとっては。 悲劇の主人公であっても、初一念だったり、自分の命や子供の命さえも犠牲にしたり、 それゆえに苦悩はあるけれども、人間のもつある意味理想のヒロイックなヒーロー像というか。 現実には、俊寛みたいに絶望に追いやられた場合、後悔もするし、惨めにもなるし、誰かや何かを 恨むし、卑下びた男にもなるでしょうよ。が、そんなのを観るために劇場へ行くわけではないの。 私はね。
結局、96年に観たときも去年の5月の古典芸能鑑賞会で観たときも好きになれなかった。 今回も、ちっ、わかめ片手にヨレヨレかよ、けっ、なんて自己憐憫ずりずりなんだよ。 そんなだから煙たがられてんじゃないの?とか冷たく観ていました。はい。 まず、若人2人がやってきても、「この島にさ3人しかいなくてさ、いえば、世界にたった3 人みたいなのに、なんで頻繁に訪ねてきてくんない「んだよう。」なんてメソメソ。 「祝言なのに酒もないのよね。」ヨヨヨヨヨ・・・「肴つかまつろう・・・」ヨロヨロヨボヨボと。 まー、なっさけねー。男らしくねー。魅力ねー。 場面移って赦免状に自分の名前だけが無いのを確認すると、「流人3人、同じ罪なのになんで 俺だけ名前がないのよーーーっ!」と慌てふためく。あんたさ、残りの2人より年長だし高名な 僧侶だし、主謀者でしょ?指導者でしょ?なに情けないこと言ってんのよ。 むかつくー。と私の心の中はモヤモヤだらけでしたの。ええ。そりゃ、世界に3人っきゃいない のと同じ島に1人だけ残されたらパニックにもなるわな。でもさー、これがさー、ねー、 頭でっかちの理想主義者のよわっちーところがこれでもかってくらい露呈するのねぇ。 清盛に対し、謀反を企てたんでそ?自分なりの理想があったんでそ?命がけくらいの気合で 起こしたんじゃないのか?おい、俊寛。甘いんだよね〜。イライラすんだよね〜。
やっぱり、今回も彼を好きにはなれないわあ。。。はあああ。。。嘆息。。。。 まあ、なんで彼を嫌いかっていう理由が自分にとってはっきり確認できたからいいか。 彼の「凡夫」なところが嫌なのよ。「助かりたい男」ってのがみみっちくて我慢できないの。 そーかー、どんなに吉さまが神業的演技で、これでもか苦悩で俊寛であっても(というか、 だからこそというか)彼の心持が嫌いだったのねぇ。うんうん。と、とりあえずすっきり。 それがじょじょに変化していったのは・・・赤面ぶるまー、白面ぶるまー(瀬尾と丹左衛門) のやりとりが進んできてから。 赦免状に名前が無かったものの、白面ぶるまーが小松殿から預かっていた手紙に 「俊寛を備前の国まで乗せてくるよう」と書いてあり、なんとか船に乗れることに。 しかあし、それだけでもいまいましく思う、赤面ぶるまーが、千鳥は乗せられぬと拒否。 一騒ぎあって、俊寛の妻の東屋が清盛のお召しを拒絶して四条河原で首を斬られたと 憎憎しく告げる。ががーーーん! いったんは、流人3人だけ船に乗せられたものの、ひとり残され、嘆く千鳥 「鬼界ヶ島に鬼はなく、都にこそ鬼がいる〜ん。」と自害しようとすると、よろぼけながら俊寛が。 (成経、なにしてんだー?)ここらから俊寛はステキになる。
妻も死んで、ひとり都へ戻ったところで詮もない。私のかわりに船へ乗れと。 悩んだと思うよねぇ。いったんは、成経、康頼と船に乗せられ、その船中ですっごい煩悶 があったと思う。(つーか、成経、なにしてんだー?ったく、都の御曹司はつかえねーな。) 瀬尾にめっけられ、立ちまわり。いやあ、今まで気がつかなかったけれども、この立ちまわりって 結構大変そう。見応えある。 ついに斬られて倒される瀬尾。丹左衛門にとどめを刺すにはおよばぬ。とどめをさしたら罪に罪を重ねるから。 (って、上使を斬った時点で重罪人じゃないのか?) このへんよくわかんないけど、ま、その声をふりきるように、瀬尾にとどめを刺す俊寛。 なんとか、千鳥を船に乗せ、船は出航。とも綱にかけよる。 ・・・おーい・・・船を追う。 おーい!おおおおおーーーい!遠ざかる船。 押し寄せる波。岩にかけのぼる。見えなくなっていく船。 岩上にひとり、虚空に流れる視線。ぞぞぞ。なんていう顔をするのだろう。。汗まみれの顔に 孤独の氷点がある。何を「見る」でなく、哀しみでなく、絶望でなく、虚無とだけ断言するには 哀しみに似た温度をたたえ、哀しみの甘えそのものになるには、あまりに孤独が深すぎる。 あんな表情を私は見たことがない。普通の日常生活の中で、普通に生活していれば、あんな目の色 を見る機会はほとんど無いだろうと。
愛せない男が、自分の絶望から、若い娘を救おうとしたときから彼は復活したんだなあと。 たとえ、それが自分の愛する者がすでにこの世のものでないという喪失感からきた、なかば 自暴自棄な心からでも。 どんなに自分勝手なやなやつでも、変わることができるんだなあということ。それが、現世で の成功や幸福ってことに結びつかなくても。変わったというより、元々が悪い人間ではなかった んでしょう。それが逆境のために、やなとこばっかりが出ていたのかなと。 善も悪も、聖も俗も、矛盾をはらみつつ両方もっているのが人間なんだなあって。 さて、あんな目の色をして、世界にたったひとり残されたような孤独を抱きながら、 彼はどうなっていくのかなあ? 菊地寛の小説の俊寛のように、島の娘と恋をして、逞しく生きてってくれればいいなあと願う反面、 もうそれ以上、心身を苛めないで愛する妻のもとへ死出の旅に向かうのかなあ?それもアリだなあと 考えたり。その後が気になるぞ。
彼を愛せなかった頃から、最後の岩上での表情は凄かった。あれって、幕切れの見せ場だもんね。 自分の「表情」で幕を切る。座頭役者ここにあり。みたいなね。 確かに「頭」ではわかってたのよ。あの表情の凄さは。でも、その凄さに至るまでの彼を今まで わかんなかったし、嫌いだったから、最後の表情だけが素晴らしくても感動に直結しなかった のよ。 それが、今回は彼の嫌なとこも含めて、ああ、そうだよねぇ。と共感できたから、最後の表情が ストレートに心にぶつかりました。 しみたとか感動したとかそんなもんじゃなくて、ほんと、ぶつかった!って感じ。 それがね、私の気のせいなのか、今までもそうだったのかもしれないけど、岩をのぼりながら、 岩上でぺたんと座るまでの「おーーーい!」の声が少ないのよ。 身体的表現として発声される「おーーーい!」は少なくて、表情だけで勝負するというか、台詞に 頼らずに(呼びかけ声だから台詞とはいわないかもいれないけど)沈黙で岩上に座ってる時間が 長い。 声がとぎれてから、あの表情で「凡夫」であるところの自分も見えるし、千鳥を乗せてやれた という満足している自分も見えるし。とにかく、あの最後の顔を見るだけでも見る価値はある。 と私は感じました。ありゃ、もー人間を超えちゃってるって。 今まで好きじゃなかった俊寛。まさしくボロボロ。でも・・・今回の俊寛は・・・素晴らしかった。
一緒に島に残りたかったかって? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ イエス!
あとは、配役もグッドでした。地味だけどね。 特に、国宝お2人が良い。丹左衛門@芝翫さんと瀬尾@富十郎さん。この2人のやりとりだけでも 一本の芝居ができそうでしたわ。 四頭身半くらいの、なんか人間っぽくない芝居者らしさっていうか、うまく言えないんだけど さすがの存在感でした。 ことに芝翫さんは演じられる役によっては、好きじゃないのね。(^_^;)女方より好きかもしんない。 富十郎さんの赤面の顔はすごかったね〜。やー、芝居芝居しててぐー。 なのに、リアルシリアス苦悩な俊寛とも違和感ないのだものねぇ。極上の歌舞伎って不思議。 言うまでもなく力が拮抗してないとこうはいきませんわよね。うん。でさー、やっぱり… 歌舞伎の舞台の吉さまは最高よね(はあと)
2003年 9月 5日 記 寝ても醒めても 表紙へ![]()