長五郎くん、孤独だったんだねぇ。きっと。。


 2003年 国立劇場(12:00開演)1月 5日、13日、24日(16:30開演)、26日  


 で… かかったーーー。濡髪吉さま。角力場以外はナマで観るのは初めての、「米屋、難波裏殺し」「引窓」 結局、いっちはまったのが引窓でしたねぇ。一度目に観たときはすーっかり落人してしまいまひたが。  通しで観ると角力場の人間離れした大きな美しい頼りがいありまくりの大人な濡髪さんから、米屋、 難波裏の喧嘩っぱやい、強がってはいても、やっぱり、その育ちのせいか、まっとうに大人になりきれ てない肉身の情には弱い、等身大の青年となり、引窓のなりはとーってもでっかくても、子供としての 男の子に戻って見える濡髪さん。角力場だけではわからんかった、一人の人間の切なさがしみじみ滲み る濡髪さんでした。はい。
 角力場の濡髪さんは、くり返しになるけどもでかいね〜。まだ、悲劇の予感もない大きな美しい立派 な男振りの関取。出てきた瞬間に目が釘付け。力士をやらせたら世界一。神々しいまでの偉きさ。 そして、私的には歌昇さんの放駒にはちょびっと不満が残る。頑張っているとは思うのよ。ニンとかガ ラとかも悪くないと思うのよ。台詞も下手な人ではないし。でも、頑張るのは当たり前だし、ニンとか ガラとかは持ってるものだし、いわんや台詞が下手な人は私的には役者じゃないし。    若い、まだどっちかってーと少年に近いよなつっぱりも見栄もプライドも一所懸命な感じもよっくわ かるんだけど、チンピラ風に力自慢でも、若い人の潔癖さも出ているし。でも、なんて言ったらいいの かなあ。役として、そのように見えるのでなくて、いっぱいいっぱいで全力投球してて、素の歌昇さん としてそのように見えてんでないか?っていう不満が残るのよねぇ。健闘はしててもやっぱちっと濡髪 についてけてないっていうか。いや、それも芝居としてそー見えるならいいのよ、そーいう位置関係だ し。  一度目に観たときよりは二度目のが違和感は少なくなったけれども、三度目、四度目を観ても、 ぐぐーっとはまってはこなかったなあ。アタシには。それと、ところどころの声のボリュームが大きい のよねぇ。ただ大声じゃなくて、割れるのよねぇ。鼓膜にびんびんくるのよねぇ。二、三箇所だけ、失 礼とは思ったけど、耳をふさいだとこがありました。比喩じゃなくて、ほんとに耳にきんきんきて痛く なっちゃうのよ。技術的にそれを押さえることは可能だと思うのよねぇ。そこんとこなんとかしてくん ないかなあ。 あとは、出の瞬間のちと老け顔に見えるとこをのぞけば、体型も顔そのものも放駒さんに合っているの だしなあ。顔の拵えそのものはかわゆらしいと思うんだけど、どーもぱっと出てきたときにかわゆさが 出ないのよねぇ。前に観た、富十郎さんの放駒のが実年齢はうんと上でも出てきた瞬間のかわいげって のはやっぱよかったなあ。  んが、そのちっと不満な放駒さんのために、濡髪さんも神々しいばっかの関取さんでなく、あ、結局 は勝負の世界にいるちょと一般社会からははぐれちゃってるのかもしんない青年としての表情も見えた 気がするかなあ。八百長の次第を仕方ばなしでするでそ、で、放駒は???なんじゃなんじゃ?って記 憶を辿るふうでそ、それを待ってる間の「ちっ、勘の鈍いやつ」みたいな非常に人間臭い表情をするの よねぇ。ま、それが見られただけで満足しよう。それと、「八百長で勝ちを譲ってやったんだから、俺 のいうことをきけ」って言ってるわけだからさ。その辺の身勝手な人間ぽさってのも見えたかなあ。 ここは富十郎さんだと、濡髪の言うことも放駒の言うことももっとも!びしびしばしばし!火花!って いう一種爽快な場なんだけどもね。それとは違うリアルさが出てたかも。
 米屋・難波裏になると、放駒くんもそー悪くないっす。もー米屋の男の子でね、おねーちゃんに情愛 もあるし、感謝もしてんだけど、うっせーな風なリアルな青年くんっぽさってかね。しかし、この二場って めったに出ないらしくて、確かにここもやってくれると引窓への連続感ってのが増すけれども、二度、 三度観ていくと、そんなに面白くないなあ。つじつま合わせな場だけど、説得力に欠けるっつーかな、 ま、2人で米屋内で喧嘩して、俵ぽんぽんしたり、随所随所で相撲の型(?)で見得きめて見せてくれたり そーいうところは美しいのだけれども。ほいで、姉弟の愛を描くには説得力。。。ないかも。。。 ま、ここでいっち好きなのはねこまたばばさんの引っ込みの台詞ですね。(きっぱり。うふふ。)  あと、殺し場も“殺し場”っても最初から殺意のある殺し場じゃないからねぇ。途中から妖しいものにつ き動かされて殺意の塊になるわけでもなく、ほんっとにはずみ、相打ちしちゃった人らに騒がれだして、仕 方なく。。ってことだもんね。その後の捕り手殺しなんて、捕り手がくるにしちゃはやすぎねーか? 斬殺じゃなくて、絞め殺しかよっ、で、絞め殺されちゃってからとんぼかえるかよ?っつーとってつけな。。 (^_^;)いへ、「毒喰わば、皿までじゃー」はかっちょよかったですけども。
 そして、ビデオを見てもあんまり好きでなく、ナマ初見のときには気絶してしまった「引窓」 これが…すんばらしい。しみじみとしっとりとすっきりとすんばらしい。富十郎さんの底力を見たっ。 もちろん、素の富十郎さんの人柄やら芸風やらも反映はされているんだろうけども、あくまでも芝居の 中の人物としての南与兵衛・南方十次兵衛として見えるすばらしさ。それもさー、青年に見えるんだも んねー。濡髪とさ、どっちが年上なのかわかんないけど、たぶん同世代だよねぇ。その青年がさ、今ま では放埒もしてたのよ、でもいろいろあったけど、都ちゃんとは夫婦になれてさ、郷代官ってのか (台本見ると“庄屋代官”って書いてあるな。刑事権ももつよななんか取り締まる人ってことよね) にもなれて、嬉しさも嬉しい、今まで迷惑かけた義理とはいえども子供のころから育ててくれたかかさ んにも面目がたつ、嫁にもらった都ちゃん(本名お早)にも鼻高い。この明るいね嬉しい場面がね嬉し ければ嬉しいほど後の嘆きが引き立つというもの。お早との夫婦ぶりもいかにも惚れ合って一緒になり ましたっ。って感じでよいのよねぇ。   そんでさ、ここまでは、かかさんも「実の子も帰ってきた。継子も亡き亭主の跡を継げた。お嫁ちゃん とも仲良くやってる。」つましく、耐えて生きてきたけども幸せ幸せ、嗚呼、良かったと喜びのうちに いる。でも、継子は、実の子を縄にかける役目をおってきた。嗚呼、悲劇。哀しい、切ない、憤り、 継子には義理もある、そして愛情もある。でも、幼くして手放してしまった実の子には負い目もあり、 一緒に暮らせなかった分のありあまる愛情も哀れさもある。ここから酔わせる台詞の数々。 泣きました。。どうもすみません。。吉さま以外の役者さんの演技で泣きましたとも。ええ。 この役者が下手だったら、臭くてきっとげんなりしてしまうよな場面を魅せてくれましたとも。 かかさんが後生のためにつましい暮らしの中でこつこつと貯めたお金。それで濡髪の絵姿を売ってくれ ろとよへーに迫る。よへーも、とーちゃんが死んでから血がつながってなくても、かかさんが、どんだ け苦労して自分を育ててくれたかを誰よりも自分が知っている。  「鳥が粟をひろうようにためおかれた、そのおかね。。」じょーーー。泣けたっ。 それから後の濡髪を逃がす算段に元服さしょーの場面がちっとかすんでしまうくらい、泣けた。 それからはあれよあれよと最後の最後、濡髪とよへーがかわす台詞の応酬(短いけども)芝居の醍醐味 味わいまくり。たぶん、逃げてっても捕まってしまうんだろなあ。よへーさんも、逃がしちゃってから すべてが露見しちゃって、せっかく手にした役目も失っちゃうのかなあ。とか、今冷静に考えるとけっ してハッピーエンドではないけども、しみじみっとほのぼのっと、少し切なさを残して余韻にひたりつ つ劇場を後にできました。はい。  一年の初めの月くらい、素直に泣いてもいいよね?うん。(誰も悪いっちゅーとらんねん。)
 いやもー、感想文が書けないとひっじょーにやな気分でしたわ〜。歯にものがつまったままみたいなねー。 でもなんとか書けました。千穐楽前でよかった〜。そして、すっぐに、あの、壮絶、悲愴、凄絶、苦悩、な 知盛吉さまですわね〜。がんばりまっす。
 2003年 1月26日 記