あからさまということ
新橋演舞場 6月 8日(1列17番)16日(1列20番)19日(1列24番)24日(1列12番) 27日(1列12番)17時00分開演 夜の部
歌舞伎の吉さまとちがーう。 はい。のっけから身も蓋もないそれを言っちゃあおしまいよ発言でごめんなさい。
一部吉キチの間でも賛否両論の静かな嵐が(?)吹き荒れる蜘蛛巣城。5日から見始めて、四度目の逢 瀬を済ませた私にとっては、拒絶か受け入れか?さて、注釈つきで、受け入れ可の舞台でした。 心配されていた(誰に?(^-^;)麻実れいさんへの本能的嫉妬もそこそこに初めて見たときのド衝撃にも徐 々に慣れ、女優との共演ならば彼女以外は受けつけないかもしれないというほど麻実さんは私的にはヒット でした。(もう他の女優との共演はいいやあという本音含む) 失礼ながら、歌舞伎も一目惚れ記念観劇までは見たことありませんでしたし、とーぜん、他の芝居も見てま せんでした。舞台の麻実さんをこれっぱかしも知らなかったんです。 そして、見る前の根強い抵抗感があったせいか、見てからの方が評価が高くなったということです。正直 に言って、武時と互角というより、半歩くらいリードしてんじゃないかと思うほどです。「ちょっとちょっ と、うっそー?やせ我慢してんじゃないのー?痩せてないけどさ〜」という声が聞こえるようですが、とこ ろがどっこい、あたしゃ、舞台見た感想に痩せ我慢なんてしません。木戸銭払っての逢瀬なんですから、感 じたとおりを書きますです。嘘つく知恵が無いともいう。
まず、やはりバランスが非常によいです。背丈は拮抗してますが、ほっそり、すらり、しなやかな肢体、 通る美しい声。女声の舞台声ってのはほっとんど聞く機会がありませんが、見るたびに引き付けられる声 でした。そして、くどいほど印象づけられた、男性の腕には女性がぴったりとすっぽりと納まるのねぇ。 という当たり前といえば当たり前なことを実際に目の当たりに見られたということ。これはかなり刺激的に 新鮮でした。嫉妬を超えました。はい。でも、嫉妬してないわけではない。煩悩。 新作としてはよくできていると思う。マクベス文庫本もようやっと読みましたが、日本の戦国時代に置 き換えての翻案舞台としてよくできているとも思う。暗転が多いとの意見をちらほら見かけますが、私と しては、まず、最初に暗くなってから幕が開くってことに衝撃を受けてたので、最初の暗さに慣れてしま うともう暗転は全然気にならず、あの脳裏を離れない木霊のような音楽とともにすすすーっと流れていく のでした。(回想してるとツインピークスになっちゃうんだけど。。) とここまでは肯定的な感想。そして、ここからは懐疑的な感想に・・
さて、マクベスも読んだ。途中、気絶してたけど蜘蛛巣城のビデオも見た。しかし、ビデオの方はどう にもこうにも三船氏の鷲巣武時になじめず、最後のはりねずみ状態のとこしか記憶にない。文庫本のが面 白かった。で、日本の戦国時代に置き換えたマクベスとしては非常によくできている。 (この際、映画の蜘蛛巣城とは別ものとしよう。見てないけど。(^-^;)が、日本に置き換えたマクベスっ ちゅーのは無理があるんじゃないか?という疑問。話の大筋はほぼ同じでも、DNAから肉喰らってるよ な西洋世界的な、マクベス夫妻と農耕民族鷲津夫妻。(武士だけど)群雄割拠の戦国時代にはほとんど独 裁的支配者としての地位も崇拝度もかなり低いであろうと思われる、都築大殿と、一応神意によって定め られた王族としてのダンカン王との比較。 ま、西洋の王室および貴族階級でもそりゃ、戦争ばしばししてて、血で血を洗う下克上はあったろうけ ども、神さまに定められたとする王位と、(こじつけとも言うが)昨日の足軽も(足軽という身分名称が いつからあったか知らないが)今日は殿って極論もありかもという日本のせまーい国土をこまごまにした 領地の城主とはおのずからスケール感に相違があり、そこにもってきて、キーワードとなる森も、日本的 風景として人が越えるのも大変な森を抜けたとこにある領地ってぴんとこないのよ。私だけか?物知らず だからねぇ。 舞台装置としての蜘蛛手の森は良かったですけど。
そして、原作マクベスでも舞台蜘蛛巣城でも私がようわからんのは、なんで、後でそこまで後悔ってい うか、そこまで罪悪感にさいなまれる?かということ。原作との比較ばかりしても仕方ないんだけど、原 作では王殺しまでが舞台よりずっと意識的なのね、気弱い奴なんだけど、常日ごろからあわよくば王位をっ て野心がマクベスの潜在意識にはあるのよ。で、夫人の方も、浅茅よりは全然怖いの。「女なれば赤子に乳 を吸われる愛しさは知っている。でも、必要とあれば乳房からその体をもぎとり脳をえぐることさえいと わない。」とか(原文訳文にあらず。大意)こえー!というか猛々しい。 ああた、ここ読んで、感じたわよ。DNAから肉喰ってんなあって。 そのゴクアク肉食夫婦がさ、なーんで、あんなうじうじいじいじ壊滅的罪悪感のもとに破滅していくのか わからん。 その罪悪感の根拠にはやっぱり、神意によって定められた王を殺した。ってのがあるのか? そして、バンクォーの霊の幻にも悩まされる。そして、なぜに唐突にマダムマクベスは、洗っても洗っても 血が落ちないのよ〜ん。ひゃーひゃっひゃっひゃっ!って狂い死にしてしまうのか? 人間として殺してしまったあとに後悔と恐怖が押し寄せてきちゃったのか?そんなにあんたたち善人だ ったっけ?いくら人間が曖昧で善悪の境目ははかないものだとしても。それにしては殺しにいたるまで の2人の台詞がこわすぎるっちゅーねん。 で、ぼんやりとそこには西洋の神様ってのが関係してんのかなあなんて思うわけ。
対して舞台の鷲津夫妻の場合、殺しにいたるまでは武時と浅茅の野望というよりは、奸智に長け、疑い 深い大殿に追い詰められて、自分たちがやられる前にやってしまえと決意する。すんなり呑みこめる。 んが、その決意まではいいんだけど、ちゅーーーっのあと、一人短剣を手に「俺の手はなんでこんなに震 えるのだ?生きたまま地獄を見ようとしているのか?俺は地獄の淵を覗いている。ああーーーっ!」(大意) と嘆きのモノローグを語ると、私は・・・ちょっと興ざめ。 あの、翻訳文調詠嘆ってねぇ。自分が調子いいときなら、入りこめるけど、体調低下してるときはねぇ。 どうも。。きんぐおぶ苦悩の吉さまが蝋燭灯りにシルエットで頑張ってもつい、しらじらと。。 スケールちっちゃすぎー。自分に酔いすぎー。(役者吉右衛門がじゃなく武時という人物がね) ま、それが人間ということなのか。などと自分に言い聞かせ、その後の成り行きを見ていくんだけども、 その後も武時は義明の霊を見てちょっと乱心っぽくなったりもするが、あとは終始浅茅のお守りって感じか なぁ。妹の死のショック→流産→いきなり罪悪感に囚われて狂気。狂気の姿があまりにいとけなく、愛らし くもあるので、忘れがちなんだけど覚悟、決意して謀反した割にはその諸々の結果にあまりに無頓着でない? ほいで、仲いいのも恋しあう夫婦っちゅーのもわかったっちゅーの。と。 すんごい僻目で見て、夫婦愛ってそんなにそんなに尊く強いものなの?主君殺しより絵空事っぽいわ〜。 というか主君殺しより現実味無くないか?そんなにもそんなにも愛し合う2人ってありなのか? そんな私はひねくれもん?(^-^; もしかして、“愛し合う2人”てのが奇跡のように尊いってことが主題だったのか?
で、結論として、武時って人は歌舞伎でいったら「性根が通ってない人」ってことなんだろなぁ。 揺れ動いてて、中途半端で喜びから絶望へと行ったりきたりしててそれがとても人間臭い。歌舞伎の役々も 喜怒哀楽はある。人間を描いてはいる。それでもそれは、誇張に見せかけた中から、観客が想像して感じと るエッセンスのような人間というもののような気がするから。 ね。ぶっちゃけていえば、見た目はあくまでもかっちょよく美しく、内心は揺れ動いていても一貫したもの を持ち、役者の力でその底の人間臭さや、時代を超えた人間性っていうものを想像の中から感じさせる。 とでもいうかな。自分でわけわからんくなってきた。。 たとえばさ、クマちゃんも不義して駆け落ちして夫婦になった仲なわけ。でも、クマちゃんは劇中怖い顔 して相模と仲良しこよしには全然しないわけ。でも、その「しない」中にも「そういうことがあったかもな あ」って色気を感じさせるわけ。武時と浅茅は台詞から説明しちゃうわけさ。行動でも。いくら気を許した 義妹の前とはいっても、膝に寄り添って手を握り合うなんてことがあり?かい。と嫉妬を別にしてひっかかっ ちゃう。 ま、歌舞伎と比べてもしょうがないんだけど、歌舞伎の吉さましかほとんど見てないんだから、比較 しちゃうのはしょーがない。で、どっちが好きかと問われれば間違いなく歌舞伎の吉さま。 でも、それ言っちゃあおしまいだし、今後も吉さまがこーいう芝居しない限り、歌舞伎以外の芝居を見る ことはなかろうと思うけども、歌舞伎以外の芝居で今、吉さまが舞台版蜘蛛巣城をやったということは、 意義あると思う。 ご本人かなりノリノリのように感じるし。だからといって、もちろんご自分は歌舞伎役者だというスタンス はお持ちだろうから。 今後、歌舞伎やめてこっちの路線に走るっていうんならあたし命をかけて抗議しちゃうけど(役に立たんっ ちゅーねん。)青年時代からでもほぼ初めてっていうくらいの歌舞伎以外の(新派・鬼平は別)舞台ってこ となら、新鮮な見たことない吉さまを見られてよかったなあと。 また、そんな吉さまサイドの云々を抜きにしても良い舞台だと感じるから。すっきり!とはいかないけど。 そして、絶賛はできないのになぜか後をひく舞台ってのも初体験。やはり、不思議だからかな? で、そうねぇ。大好きなパパなのに、単身赴任でずーっと離れててて、でもビデオレターや電話では しょっちゅう見て、しゃべってて、けど、実際に会うのは久しぶりで人見知りしてる幼い娘みたいな気持ち。 とでもいいましょうかね。あはは。(^-^; 千龝楽までにまだ書きそうな。。書くじょ。
2001年 6月20日 夜
寝ても醒めても表紙へ